大判例

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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)10923号 判決

原告

小野トヨ子

被告

井上隆

ほか一名

主文

被告らは、原告に対し、各自八六七万一二六六円及びうち七八二万一二六六円に対する昭和五六年一二月一八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の、その余を被告らの各負担とする。

この判決は、第一項につき、仮に執行することができる。

事実

第一申立

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自二四九七万四二三八円及びうち二二九七万四二三八円に対する昭和五六年一二月一八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五六年一二月一八日午後五時ころ

(二) 場所 東京都国分寺市東恋ケ窪四丁目二一番地先路上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 加害車 普通貨物自動車(多摩四五せ七六八六)

(四) 右運転者 被告井上隆(以下「被告井上」という。)

(五) 被害車 足踏式自転車

(六) 被害者 原告

(七) 事故の態様 被告井上は、加害車を運転し走行中、同車の左方を走行していた被害車に衝突し、原告に後記傷害を負わせた(以下「本件事故」という。)。

2  責任原因

(一) 被告井上は加害車を運転し、過失により本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条により原告の後記損害を賠償する責任がある。

(二) 被告明治ファミリー株式会社(以下「被告会社」という。)は、被告井上を雇用し、被告会社の業務の執行中、本件事故を発生させ、また、加害車を所有して自己のため運行の用に供していたのであるから、民法七一五条及び自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条により原告の後記損害を賠償する責任がある。

3  原告の受傷状況

原告は、本件事故により頭部外傷、脳挫傷、脳幹損傷、右鎖骨骨折、右動眼神経麻痺、頭皮割創、右半身打撲、右第九、一〇肋骨亀裂骨折の傷害を受け、本件事故当日から昭和五七年四月一七日まで一二一日間調布病院に入院し、同月一八日から五月二六日まで通院し(実治療日数二日)、六月一日から一〇日まで一〇日間入院し、六月一一日から三〇日まで通院し(実治療日数一日)、七月一日から一〇日まで一〇日間入院し、七月一一日から昭和五八年四月五日まで通院したが(実治療日数三日)完治せず、同日症状固定し、以下の後遺障害が残つた。

(一) 精神及び神経系の障害

(1) 他覚所見及び医師の診断

ア 脳波異常

全体に徐波が出現している。

イ CT検査上、左側頭域に低密度領域が認められる。

ウ 広範な脳挫傷のため、感情失禁、知能低下、記憶障害があり、充分な家庭の主婦としての労働は望めない。

エ 動眼神経麻痺がある。

(2) 近親者から見た原告の変化

原告の夫である小野成清(以下「成清」という。)から見ると以下のような変化がある。

ア 性格の変化

従来の明朗さがなくなり、他人はもとより家族との対話や交際も避け、自室にこもるようになり、訪問者には居留守を使うこともある。

イ 知能の低下

a 買物に行つてもお金の計算に時間がかかるようになつた(二桁以上の加算は紙に書かないとできなくなつた。)。

b 子供つぽくなつた。

ウ 生活意欲の低下

a 事故前は読書や作文が好きであつたが、事故後はほとんど興味を示さなくなつた。

b 新聞、テレビを見なくなつた。

c 家事労働をやらなくなつた。

エ 記憶力の低下

事故前のことについてはよく覚えているが、事故後のことは忘れることが多い。例えば、財布、預金通帳、保険証等どこへ置いたのか忘れてしまい、一日中家の中を捜し回つたり、前の晩、夫に言われたことを忘れてしまつたりすることが多い。

(二) 聴力障害

右耳聴力損失値は、三五デシベルである。

(三) 眼球の運動障害

動眼神経麻痺によるものであり、左右上下視で複視がある。

(四) 右肩関節機能障害

右肩関節の可動領域は、前方挙上一二〇度、後方挙上三五度、側方挙上一一五度であり、左肩関節の前方挙上一八〇度、後方挙上五五度、側方挙上一八〇度に比較して四分の三以下に制限されている。

右の精神神経系統の障害は、他覚所見として脳波異常、CT上程密度領域の存在、複視の発症があること、労働能力喪失の程度は主婦としての労働が望めないこと、単なる痛み、痺れ等ではなく全ての行動の根本である生活意欲、知能、記憶力等が低下していること等から、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表七級四号「神経系統機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当する。

聴力障害は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一四級三号「一耳の聴力が一メートル以上の距離では小声を解することができなくなつたもの」に該当する。

右肩関節機能障害は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一二級六号「上肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの」に該当する。

系統を異にする右の後遺症が並存しているのであるから、総合的には併合繰上げされた自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表六級相当に該当する。

4  損害

原告は、本件事故により次のとおりの損害を受けた。

(一) 治療費 三八七万二一八八円

原告は、本件事故により受けた傷害の治療のため、右金額の治療費を要した。

(二) 通院交通費 一五万六五二〇円

原告は、通院のため交通費として右金額(付添人交通費も含む。)を要した。

(三) 入院雑費 八万四六〇〇円

原告は、右入院期間(一四一日間)中、入院雑費として一日当たり六〇〇円を要した。

(四) 付添看護費 四九万八一八四円

原告の入院期間中、近親者が昭和五六年一二月一八日から二四日まで、職業付添看護婦が同日から昭和五七年二月二七日まで付き添つた。その費用として前者につき二万一〇〇〇円、後者につき四七万七一八四円を要した。

(五) 休業損害 八五万八四三九円

原告は、本件事故当時主婦として家事労働に従事していたが、本件事故により前記入院期間中及び通院実日数の日の一四七日間は、家事労働を行うことができなかつた。その間の家事労働の価値は、昭和五六年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計、五〇歳から五四歳までの女子労働者の平均賃金である二一三万一五〇〇円を基礎とすると、次の計算式のとおり右金額となる。

(計算式)

二一三万一五〇〇円÷三六五×一四七=八五万八四三九円

(六) 傷害慰藉料 一二九万三〇〇〇円

原告の、本件事故により受けた傷害による精神的苦痛を慰藉するためには、右金額が相当である。

(七) 後遺障害慰藉料 八〇〇万円

原告の、本件事故による前記後遺障害による精神的苦痛を慰藉するためには、右金額が相当である。

(八) 逸失利益 一五三八万七四九九円

原告は、昭和四年一〇月三日生まれで症状固定時五三歳であり、前記後遺障害のため、請求原因3(原告の受傷状況)で主張したもののほか、以下のとおりの不都合がある。

(1) 時間に対する観念がなくなつた。

成清の帰宅時間は毎日一定しているので本件事故以前は帰宅したらすぐ夕食を食べられるよう準備していたが、本件事故以後は、同人が帰宅して初めて食事の支度をする時間になつていることに気づき準備を始めるようになつた。また、昼食時も正午になつたことに気づかず、二時か三時ころになつてやつと昼食時間を過ぎていたのに気づくということを続けている。

(2) 世の中の出来事に全く無関心になつているので覚えることができない。

(3) 二桁の加算ができないため、釣銭は店の人にいわれるままもらつている。

(4) 話の呑込みが悪いので話が通じないことがある。また、理論的に話ができず、理論的な話を理解することもできない。本件事故以前はよく理屈を言つていた。

(5) 全てのことに無気力無関心になり、創意工夫がなくなつた。

(6) 複視が生じて距離感覚が低下し、お茶をつぐとき茶碗の外についでしまつたり、階段の昇降時足を踏み外してしまうことがある。

(7) 天候不順やその他不特定につき四、五回頭痛の発症がある。一旦発症すると半日から一日続く。

以上の不都合からみて原告は、一四年間にわたり六七パーセントの労働能力を喪失したものというべきである。

原告は、前記のとおり主婦であるから、昭和五七年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計、全年齢平均の男子労働者の平均賃金を基礎とすべきであり、右は二二〇万六四〇〇円であるので、右金額を基礎とし、年五分の割合による中間利息の控除を新ホフマン式計算法で行うと、原告の逸失利益は次のとおりの計算式により右金額となる。

(計算式)

二二〇万六四〇〇円×〇・六七×一〇・四〇九=一五三八万七四九九円

(一〇) 本件事故当時着用していた衣類及び被害車の被害 五万六〇〇〇円

(一一) 弁護士費用 二〇〇万円

原告は、被告らが任意に右損害の支払いをしないために、その賠償請求をするため、原告代理人に対し、本件訴訟の提起及びその遂行を依頼したが、右のうち右金額を被告らが負担するのが相当である。

合計 三二二〇万六四三〇円

(一二) 損害のてん補

原告は、自動車損害賠償責任保険から二〇九万円、被告らから五一四万二一九二円、合計七二三万二一九二円の支払を受けたから、これを右損害額から控除することとする。

合計 二四九七万四二三八円

よつて、原告は、被告ら各自に対し、右損害金二四九七万四二三八円及びうち弁護士費用を除く二二九七万四二三八円に対する本件事故発生の日である昭和五六年一二月一八日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(事故の発生)の事実及び同2(責任原因)の事実は認める。

2  同3(原告の受傷状況)の事実は知らない。ただし、自動車損害賠償責任保険調査事務所が自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一二号(一二級六号と一四級の併合)の後遺障害の認定をしている。

3  同4(損害)の事実中、損害のてん補については、自動車損害賠償責任保険から二〇九万円を支払つたことは認め、被告らからは、原告主張を超える五一六万六三九二円支払つている。その余は知らない。

三  抗弁

1  弁済

被告らからは、原告に対し、五一六万六三九二円を支払つているので、原告の主張より二万二四〇〇円余分に支払つている。

2  過失相殺

本件事故は、被告井上が加害車を運転して道路センターライン側を走行中、加害車の進路前方を左側路側帯にそつて被害車(足踏式自転車)で進行していた原告が、加害車の一三・八メートル前方で急に右に進路を変更し、道路を斜めに横切り道路中央に出たため、被告井上が急制動の措置を講じたが間に合わず衝突したものである。被告井上に過失があることは認めるが、被害者である原告も、後方を確認せず漫然と斜め横断をしたことが本件事故の最大の要因となつているのであり、原告の過失は六割を下らないものである。

四  抗弁に対する認否

(一)  弁済の抗弁は知らない。

(二)  過失相殺の抗弁は争う。加害車は、本件事故当時六〇キロメートルを超える速度で進行していたものであり、しかも本件事故現場は、車道幅員五・五七メートルの狭隘な道路であり、前方に自転車が進行しているのにこのような高速度で走行したのであるから、被告井上の運転は、事故必発の危険をはらんでいたものである。

また、被告井上が被害車を発見したのは二四・六二メートル手前であり、充分注視する余裕があつた。その余裕をなくさせたのは、加害車の速度超過と前方不注視である。原告は、被告の主張よりももつと手前で進路変更している。

したがつて、原告には過失はないものである。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実及び同2(責任原因)の事実は当事者間に争いがない。そうすると、被告らは、原告の後記損害につき賠償する責任があるものである。

二  同3(原告の受傷状況)について判断する。

原本の存在、成立ともに争いのない甲二号証から二一号証まで、成立に争いのない甲三二号証から三七号証まで、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲二二号証の一から三まで、証人種村孝、同成清の各証言、鑑定の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

1(一)  原告は、本件事故により頭部外傷、脳挫傷、脳幹損傷、右鎖骨骨折、右動眼神経麻痺、頭皮割創、右半身打撲、右第九、一〇肋骨亀裂骨折の傷害を受け、本件事故当日から昭和五七年四月一七日まで一二一日間調布病院に入院し、同月一八日から五月二六日まで通院し(実治療日数二日)、六月一日から一〇日まで一〇日間入院し、六月一一日から三〇日まで通院し(実治療日数一日)、七月一日から一〇日まで一〇日間入院し、七月一一日から昭和五八年四月五日まで通院したが(実治療日数三日)完治せず、同日症状固定し、以下の後遺障害が残つた。

(二)(1)  原告は、本件事故前は、明朗であつたのにそれがなくなり、他人はもとより家族との対話や交際も避け、自室にこもるようになり、訪問者には居留守を使うこともあるようになつた。

買物に行つてもお金の計算に時間がかかるようになり、二桁以上の加算は紙に書かないとできなくなつたため、お釣りは店の者に言われるままにもらつている。また、買物も一時に材料を大量に買い込み、食べきれない量の食事を作るため、当分の間同じ物を食べざるを得ないものであり、かつ、それでも余つてしまうようになつてしまつた。本件事故前は、吝嗇であつた。

時間に対する観念がなくなり、夫である成清の帰宅時間は毎日一定しているので、本件事故以前は帰宅したらすぐ夕食を食べられるよう準備していたが、本件事故以後は、同人が帰宅して初めて食事の支度をする時間になつていることに気づき準備を始めるようになつた。また、昼食時も正午になつたことに気づかず、二時か三時ころになつてやつと昼食時間を過ぎていたのに気づくということを続けている。

世の中の出来事に全く無関心になつているので物を覚えることができない。

話の呑込みが悪いので話が通じないことがある。また、理論的に話ができず、本件事故以前はよく理屈を言つていたのに、理論的な話を理解することもできないようになつた。

複視が生じて距離感が低下し、お茶をつぐとき茶碗の外についでしまつたり、階段の昇降時足を踏み外してしまうことがある。

天候不順やその他不特定に月四、五回頭痛の発症があり、一旦発症すると半日から一日続く。

事故前は読書や作文が好きであつたが、事故後はほとんど興味を示さなくなり、新聞、テレビも見なくなつた。

事故前のことについてはよく覚えているが、事故後のことは忘れることが多く、例えば、財布、預金通帳、保険証等どこへ置いたのか忘れてしまい、一日中家の中を捜し回つたり、前の晩、夫に言われたことを忘れてしまつたりすることが多い等の症状が発生している。

(2)  原告には聴力障害があり、その聴力損失値は、左一二デシベル、右三五デシベルであり、動眼神経麻痺による眼球の運動障害もあり、左右上下視で複視があるものであり、右肩関節の可動領域は、前方挙上一二〇度、後方挙上三五度、側方挙上一一五度であり、左肩関節の前方挙上一八〇度、後方挙上五五度、側方挙上一八〇度に比較して四分の三以下に制限されているという右肩関節機能障害がある。

2  鑑定人である間中教授は、原告の症状の発生の原因、その程度は以下のとおりであると判断している。

(一)(1)  原告は、動作は無表情で緩慢であり、応答もこころもとなく、一見して通常人と異なる印象であり、理解力低下、記銘力低下、見当識障害、計算能力低下、計画能力低下、知的会話不能等の知的レベルの低下がみられ、準痴呆と評価される。また、退行(幼稚化)、わがまま、こらえしようがない、人嫌い、いこじ、社交性の欠如、自閉、感情鈍麻、無関心、無気力、意欲低下、ものぐさ、だらしない、新聞、テレビに興味を示さず、執筆もしない。外出、家事への積極性低下等の性格の変化もみられた。性格の変化は高度なものといえる。

(2)  原告の日常生活能力に影響を与える神経症状については、右動眼神経麻痺、右に強い平衡機能・共同運動障害の二つが挙げられ、その他の神経障害としては、パリノー徴候、右半身の腱反射亢進、口とがらし反射等が認められた。口とがらし反射は、痴呆のときに現れやすい反射とされている。CT(コンピュータ脳断層写真)検査では、左側頭葉後部に低吸収領域、脳幹後部にも低吸収領域が存在した。側脳室はやや拡大しており(左がやや大きい。)、前頭部のくも膜下腔もやや拡大していたが(脳萎縮)、これも左の方がやや広くなつている。ダイナミックCT検査では、大脳内の血流には、左右差がある。脳波検査は軽度の徐波を示した。聴力は右三五デシベルの聴力障害を認めた。右肩関節に運動障害があり、上肢は水平から上に挙がりにくい状態であつた。神経症状は、いくつかあるが、いずれも軽度であり、検査所見については、CTの変化は中程度、脳波の変化は軽度である。そして、原告の右症状は、本件事故に基づく脳損傷の結果、出現したものである。

(3)  原告の脳障害の部位について

受傷メカニズムの面から

打撃部位は創傷の状態からいつて、右前頭部であるが、頭部外傷の場合は反衡損傷といつて、打撃部位と反対側(原告の場合は左側頭部から後頭部)にも損傷ができうる。反衡損傷の方が直撃損傷より強いこともしばしばである。また、頭部の打撃により脳幹部がテント縁にぶつかり損傷を受けることもある。したがつて、原告の例では右前頭部、左側頭部、脳幹等の損傷が起こりうる。動眼神経麻痺は、動眼神経が脳幹に侵入する部分での損傷が推定しやすい。右の小脳症状は、小脳脚での損傷の可能性がある。

神経症状から

パリノー徴候は、脳幹の四丘体の損傷を疑わせる。右の腱反射亢進と病的反射の出現も脳幹損傷で説明可能である。

CT所見から

右側頭葉後部・脳幹部の損傷は明らかである。この他に左大脳半球の萎縮が示唆される。

ダイナミックCT所見から

大脳の表面は右、大脳深部では左の損傷が示唆される。このことは、頭部外傷のメカニズムで説明可能である。

脳波からは障害部位の同定は困難である。

原告の知能障害・性格変化の責任部位

原告の現在の状態で、もつとも問題となるのは、知能レベルの低下と性格変化である。原告の場合、これらは脳幹損傷による覚醒レベルの低下に加え、記銘力と性格形成に関係する左側頭葉の損傷によりもたらされたものと考えられる。これらの障害部位は、CT上にも示されているものであるが、このほかCTで充分に把握されない部位、例えば、右前頭葉にも障害が存在している可能性はあり、これも原告の症状発現に関与している可能性がある。

(二)  脳波と症状の関係について

原告の場合脳波の変化は病状に比して良好である。一般的には、脳波は脳の障害と比例的な関係にあるのだが、アルファ昏睡といつて全く正常に近い脳波を示しながら患者の状態は昏睡であつたり、脳波にかなりの異常があつても十分な社会活動をしている例もあつたりする。脳波がきれいであるから患者の脳損傷はない、あるいは、精神障害はないと判断するのは誤りである。痴呆であつても正常に近い脳波を示すことも稀ではない。損傷の程度と脳波所見が乖離する原因としては、損傷部位と脳波のリズムを作る部位が異なつているためであると説明されている。CTについて考察を加えると、原告の場合、CTで示される脳幹と側頭葉の損傷だけでも知能・性格変化は説明できる。しかし、CTに見られる低吸収領域は、それほど大きいものではなく、これだけの障害で果して原告の症状が出るものかと疑問を持たれるかもしれないが、CTで脳損傷がすべて表現されているわけではなく、CTで示される所見以上に器質的変化が発生している可能性がある。現にダイナミックCT所見も外傷の影響が全脳的に及んでいることを示唆している。仮に障害の範囲が小さいとしても、障害部位によつては強い症状が出ることがある。このようなことは、日常臨床でしばしば経験することである。

(三)  原告の日常生活は、原告本人及び周囲の人間にどの様な不都合があるか

原告の労働能力については、日常生活のうち、身の回りの動作、例えば、食事、用便、着衣は、動作が緩慢とはいえ一応可能であり、細部については夫の成清の助力が必要である。その遂行能力は、七、八〇パーセントと推定される。

簡単な家事については、炊事、買物、洗濯、掃除等は可能であるが、何れも不完全であり、家族の協力と寛容なしでは遂行できない。その遂行能力は、五〇パーセントと推定される。

複雑な家事、例えば電話や来客の応対あるいは部下の接待、家庭内の談論、夫の書類作成の手伝いについては、ほとんど不能である。その遂行能力は、〇から二〇パーセントと推定される。

臨時工のする単純な組立作業、スーパーその他の販売店での販売、レジの遂行等は不能である。

原告は、本件事故後性格が一変してしまつた。そのことによる伴侶としての夫の不満についてはここでは評価の対象とはせず、家事遂行能力のみを捉えることとすると、平均的主婦を一〇〇として原告の主婦としての労働能力は五〇パーセント減殺されたと判断される。

(四)  右の精神神経系統の障害は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表七級四号「神経系統機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当する。原告の頭痛は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一四級一〇号に該当する。神経症状のうち動眼神経麻痺や平衡機能・共同運動障害については、何れも自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一二級一二号程度である。聴力障害は、さほど重度のものではないが、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一四級三号「一耳の聴力が一メートル以上の距離では小声を解することができなくなつたもの」に該当する。右肩関節機能障害は、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一二級六号「上肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すもの」に該当する。原告の精神障害の七級に加えて、一二級相当の障害が三個、一四級相当が二個であるから、重い七級を一級繰り上げて六級とするのが相当である。

以上のとおり判断している。

以上の事実が認められ、弁論の全趣旨により原本が存在し、真正に成立したと認められる甲三八号証中、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  以上の諸事実を総合勘案すると、格別の反証がないものであるから、原告には右の程度の諸症状が後遺障害として残存しているとみるのが相当である。

三  同4(損害)の事実について判断する。

原告は、本件事故により次のとおりの損害を受けた。

1  治療費 三八七万二一八八円

前掲甲九号証から一九号証まで及び証人成清の証言によれば、原告は、本件事故により受けた傷害の治療のため、右金額の治療費を要したことが認められる。

2  通院交通費

弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲三一号証の一から五まで証人成清の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告は、通院のため交通費として相当額の支出をしたことが認められるが、その内右金額が本件事故と相当因果関係があるものと認められる。

3  入院雑費 八万四六〇〇円

弁論の全趣旨によれば、原告は、右入院期間(一四一日間)中、入院雑費として原告主張の一日当たり六〇〇円を超える金額を要したことが認められる。

4  付添看護費 四九万八一七四円

原本の存在、成立ともに争いのない甲二三号証から三〇号証まで証人成清の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告の入院期間中、近親者が昭和五六年一二月一八日から二四日まで、職業付添看護婦が同日から昭和五七年二月二七日まで付き添つたが、その費用として前者につき二万一〇〇〇円、後者につき四七万七一七四円を要したことが認められる。

5  休業損害 八二万一四六八円

全認定の通院状況、証人成清の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時主婦として家事労働に従事していたが、本件事故により少なくとも原告主張の期間、すなわち前記入院期間中及び通院実日数の合計一四七日間は、家事労働を行うことができなかつたことが認められる。その間の家事労働の価値は、昭和五六年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計・全年齢平均の女子労働者の平均賃金である二〇三万九七〇〇円を基礎として算出すると、次の計算式のとおり右金額となる。

(計算式)

二〇三万九七〇〇円÷三六五×一四七=八二万一四六八円(円未満切捨て)

6  傷害慰藉料 一二九万三〇〇〇円

本件訴訟に顕れた諸般の事情に鑑みると、原告の本件事故により受けた傷害による入通院のための精神的苦痛を慰藉するためには原告主張の右金額が相当である。

7  後遺障害慰藉料 八〇〇万円

本件訴訟に顕れた諸般の事情に鑑みると、原告の本件事故により受けた傷害による後遺障害のための精神的苦痛を慰藉するためには右金額が相当である。

8  逸失利益 一〇四四万円

前記原告の後遺障害について認定した事実、証人成清の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和四年一〇月三日生まれで症状固定時五三歳であり、前記後遺障害のため六七歳までの一四年間にわたり主婦として稼働するにつき五〇パーセントの労働能力を喪失したものというべきである。

原告の逸失利益は、昭和五七年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計・全年齢平均の女子労働者の平均賃金を基礎とすべきであり、右は二一一万〇二〇〇円であるので、右金額を基礎とし、年五分の割合による中間利息の控除をライプニツツ式計算法で行うと、原告の逸失利益は次のとおりの計算式により右金額となる。

(計算式)

二一一万〇二〇〇円×〇・五×九・八九八六=一〇四四万円(一万円未満切捨て)

9  本件事故当時着用していた衣類及び被害車の被害 〇円

前掲甲三一号証の五、乙四号証及び弁論の全趣旨によれば、原告が本件事故当時着用していた衣類及び被害車につき損傷が生じたことが認められるが、右各証拠のみではその損害額の根拠が不明確であるため確定することはできず、他にその損害額を確定するに足りる証拠はない。

小計 二五一二万九四三〇円

10  過失相殺

(一)  成立に争いのない乙二号証から六号証までによれば、以下の事実が認められる。

本件事故現場は、小金井市方面から恋ケ窪方面へ通じる歩車道の区別のない幅員約五・七メートル(その脇にはそれぞれ幅員約〇・八メートルの路側帯がある。)の片側一車線の道路であり、指定最高速度は時速四〇キロメートルの規制がされており、直線で見通しは良く、夜間でも照明のために明るく、路面は平坦でアスファルト舗装がされ、中央にはセンターラインがひかれ、本件事故当時は乾繰していた。本件事故現場には、小金井市方面から恋ケ窪方面へ見て右方に、小平市方面に通じる歩車道の区別のない幅員四・〇七メートルの道路が分岐している。

被告井上は、加害車を運転して、小金井市方面から恋ケ窪方面へ本件事故現場道路を指定最高速度を一〇キロないし二〇キロメートル超過した時速約五〇ないし六〇キロメートルの速度で進行し、自車前方左方の路側帯を、原告が被害車(足踏式自転車)を運転して走行して行くのに気がついたが、そのまま、直進したところ、被害車が急に右方に進行し始めたため、急制動の措置を講じたが及ばず、加害車を被害車に衝突させ、原告に前記傷害を負わせたものである。

原告は、被害車を運転して道路左脇の路側帯を進行していたが、後方の安全確認をせずに、急に右に転把したため、前記のように加害車に後方から衝突された。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  右事実に徴すると、本件事故は、被告井上が、指定最高速度をかなり上回る速度で進行し、前方の注視が不十分であつたため発生したものであり、その過失はけして軽度のものではないが、他方、原告には、被害車を道路中央に方向を変えるについて、後方の安全確認をせず、何らの合図もせずに急転把した過失があり、けしてその過失も小さくない。

右両者の過失を対比すると、被告井上が六、原告が四とするのが相当である。そこで、原告の前記損害から四割を控除することとする。

小計 一五〇七万七六五八円

11  損害のてん補及び弁済の抗弁

原告は、自動車損害賠償責任保険から二〇九万円、被告らから五一四万二一九二円、合計七二三万二一九二円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。

弁論の全趣旨により原本が存在し、真正に成立したと認められる乙七号証によれば、原告は、被告らから支払を受けた金額は五一六万六三九二円であることが認められ、右金額のうち五一四万二一九二円についてはすでにてん補ずみであるから、二万四二〇〇円を更に控除することとする。

12  弁護士費用 八五万円

弁論の全趣旨によれば、原告は、被告らが任意に右損害の支払いをしないので、その賠償請求をするため、原告代理人に対し、本件訴訟の提起及びその遂行を依頼したことが認められ、本件事案の内容、訴訟の経過及び請求認容額に照らせば、弁護士費用として被告らに損害賠償を求めうる額は、右金額が相当である。

合計 八六七万一二六六円

四  以上のとおり、原告の本訴請求は、被告ら各自に対し、八六七万一二六六円及びうち弁護士費用を除く七八二万一二六六円に対する本件事故発生の日である昭和五六年一二月一八日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言については同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宮川博史)

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